森に囲まれた自然豊かなトキワシティの一画に、イエローの住む小さな家がある。
(チュチュ、お散歩から帰ってきたのかな……)
昼食後の満腹感と陽気にあてられて少しうつらうつらとしていたイエローは、小さくあくびをしながらゴム手袋を手に取った。以前オーキド博士から、ピカチュウなどの電気ポケモンが扉や窓に近付くと体にまとっている静電気が金属製のドアノブや窓の鍵などに溜まる。パチパチと音を鳴らすほど帯電したドアノブを開ける時はゴム手袋をするといい、という助言を受けたことがあり、チュチュが手持ちに加わって以降は常にゴム手袋を備えるようにしている。
チュチュは普段トキワの森に近い方の窓から出入りしているのだが、今日は表の玄関から入りたいらしい。珍しいとは思いつつ、あまり深く考えずに扉を開けた。
「チュチュおかえり……ってゴールドさん!?」
「どーも」
そこに立っていたのは遠くジョウト地方にいるはずの後輩で、眠気が瞬時に吹っ飛ぶ。なぜか肩にチュチュを乗せているゴールドは「ドッキリ成功!」と言ってニヤリと笑った。
「オーキドのじいさんに用事があってこっち来たんスけど、ついでだしイエローさんち見とくのもいいかと思ったんスよ。おじゃましまーす」
遠慮しない性格の後輩は、軽く手を上げて断りを入れると手早く上がり込んだ。当の家主が胸に飛び込んできたチュチュをキャッチしつつ「え? え?」と混乱して固まっている様子を
せんぱーい、と呼ぶ声でようやく我に返ったイエローは、突然の訪問者を慌てて追い掛ける。
「ど、どうしてボクの家の場所を?」
「チュチュが連れてきてくれたんス。ところでオレ昼メシ食ってないんですけど、なんか作ってくれません?」
「自由ですね!?」
リビングではゴールドがちゃっかり空いたイス(時々帰ってくるおじ用のものだ)に座っており、テーブルにくたんと身を預けていた。自由すぎる、色々と。
しかし、態度よりもイエローが気になったのは、くたくたに疲れ果てたような様相の方だった。怪我はしていないようだが、服や体のあちこちが汚れているし、自慢の前髪もかなりボサボサだ。オーキド博士の用事とやらが相当ハードだったのかもしれない。
あるいは、一件だけでなく複数の依頼を受けたのかも。
今、オーキド博士の元ではゴールドの同輩であるクリスが助手を勤めている。先日クリスと会った時、しばらく学会の発表準備で研究所から離れられないと言っていたのを思い出し、きっと彼女に回される予定だった分の依頼も請け負ったのだろうとアタリをつけた。
この頃よりいっそう身体の自由が効きにくくなってきた博士は、時々フィールドワークの依頼を図鑑所有者たちに頼むことがある。実力で言えばマサラタウンの三人が順当なのだが、レッドは修行にかまけてよく連絡を忘れてしまう。ブルーは過去の因縁と決別したものの、シルバーと共にまだ何かを探っているようで連絡が取りづらくなっているらしい。孫のグリーンもトキワシティのジムリーダーに就任してからは多忙な日々……となれば、どこにお鉢が回ってくるかは想像に難くない。
一応イエローにも依頼は来るのだが、なにぶんバトルが苦手である。捕獲も苦手である。自分で自覚しているし博士やクリスもよく知っているので、回ってくるのは比較的穏便な内容の依頼ばかりだ。じゃあ穏便ではない依頼はどうか、というのは、目の前の疲弊し切った姿を見ればよくわかる。
自分の方が先輩であるのに申し訳ないなという思いは、いつも頭の片隅にある。実際にそれを口にしたこともあるが、ゴールドもクリスもそれぞれの言葉で、気にしないでいいと言うのだ。
その言葉を聞くといつも、連想して手持ちたちが自分のもとへやってきた経緯を思い出す。ラッちゃんとピーすけの時は頼れる人たちが捕獲をアシストしてくれた。ドドすけにゴロすけ、オムすけは心優しい人たちが譲ってくれた。ピカはそもそもレッドの手持ちで、一緒にいられたのはレッドを助けるという共通の目的があってのことだ。
振り返ると本当に、自分はとても周りに恵まれているということがよくわかる。誰の手も借りずに手持ちになってくれたのはチュチュくらいだろう。
そのチュチュはテーブルに乗り移って、いたわるように少年の頭を撫でていた。その仕草で「きっと森で偶然出会ったゴールドの疲れた様子を見咎めたから家へ誘ったのだろう」という経緯が、チュチュの心を読まずしても伝わってくる。
(でも、困ったなあ)
うーん、とイエローは内心で頭を抱えた。
ゴールドの疲れ具合を見ていると、先述の申し訳なさがむくむくと頭をもたげてくる。
加えて、滅多に自分を頼ってこないこの後輩がわざわざイエローの家を見たいだのお昼ごはんを食べたいだののためだけに、トキワシティの隅にあるこの家へ寄るはずもない。たぶん、おそらく、とても珍しいことに、自分は彼に甘えられているらしい。
だから困ってしまう。実は、イエローは料理の腕にあまり自信がなかった。
基本的に一人で暮らしているのでそれなりに料理はするが、できるのは茹でたり焼いたりといった本当に簡単なものばかりだ。元来、手先はあまり器用な方ではない。
他に、一人暮らしを気にかけてくれる町の人びとから料理をお裾分けされることもあるが、あいにく今はない。これほど疲れている彼に食べてもらうとするならば、できれば滋養のあるおいしいものが良いな、と考えながら思いつくことを提案してみる。
「あの、作ってと言われても、ボクあまり料理は上手じゃなくて……何か買ってきましょうか?」
「作ってくれないんスか?」
「いや、だから料理は……」
「先輩の手料理が食べたいんス」
お願いしますよーと拝まれると、人の良いイエローはもう強く出れない。ましてや、ハードな依頼をこなして来たばかりであろう後輩なのである。
あまりにも不出来だったら何とか説得してニビシティあたりの食事処に連れて行こう、とこっそり決意し、黄色いエプロンを身につけた。