ころころ、ぽつぽつ


 シルクハットの下、マントの裏、ジャケットのポケットの中、ひるがえした手のひら。
 江戸川の体のありとあらゆる所からころころ、ばらばらと色とりどりのラッピングキャンディがあふれ、こぼれ落ちていく。
——こんなにたくさん、どこに隠してあるのだろう?
 どうぞ、と差し出された赤い包装のキャンディを受け取りながら、堀は不思議に思った。
 衣服のどこも膨らんでいるようには見えないのに、彼が手をかざしたその下からころんとキャンディが現れる。そしてき詰められた石畳いしだたみの道上にことんと落ちる。
 ずっとそのり返しで、江戸川が立っている周囲はもうだいぶカラフルになっていた。

 この手品ショーは、ここにいる堀ひとりのために行われている。
 堀は潜書せんしょから戻り、図書館裏手の庭園にあるベンチで休んでいたところだった。梅雨の時節に珍しい晴天のもと、遠くの雲や木々などをぼんやりと見つめていたが、こつこつと石畳を歩く音が聞こえた気がしてふと前を向いた。
 ベンチを囲む低い生垣の向こうから現れたのは、初夏さながらの気温だというのにいつもの白いスーツに黒いマントをなびかせる江戸川だった。彼が身につけているシルクハットの白や磨かれ抜いたブローチが太陽光をきらりと跳ね返し、堀の目を射抜いぬいてくる。
 ぱちぱちとまたたきを繰り返す堀に対し、江戸川はマントを広げながら大仰おおぎょう仕種しぐさで深く一礼した。

 そうして始まったこのショーの中で、堀は江戸川に対し違和感をいくつも感じていた。普段の彼は多弁な方であるのに、今は全く言葉がないこと。いつものような悪戯いたずら仕掛しかけてくるかと思っていたものの、一向にその気配がないこと。唯一の観客である堀の反応があまりかんばしくないのに、キャンディの手品を止めず続けていること。
 中でも一番強く感じている違和感は、江戸川の笑顔が柔らかいことだ。普段時も笑みを浮かべていることが多いが、その深みある碧眼を見れば鋭い光をたたえているのがわかるだろう。
「周りを間断まだんなく観察し、どこにどんな仕掛けをしようかといつも考えているんです。何故かですって? ワタクシの脳細胞がそれをほっするものですし、小説の種にもなりますし、なにより楽しいものですから」
 以前、江戸川本人からじかに聞いた話である。
 しかし、いま目にしている笑みに尖った部分は見られない。まるくて甘やかな、そう例えばまさに今、堀と江戸川の周りに溢れているキャンディのような。
——もしかして、このキャンディたちは乱歩さんの一部なのでは……。
 だんだんと堀の思考が横道にそれていく。

「——アナタの目を引くことは簡単なのですが、」
 またひとつ袖口から転がり落ちる青い包装のキャンディを目で追うと、江戸川がそれを空中でうまくつかみ取りながら、何かを確かめるかのような声色で呟くのが聞こえた。
 彼とは同じ会派かいはに所属しており、今日の潜書中にもいくつか言葉をわしている。
 なのに、ほんの数分のショーの間ちっとも口を開かなかっただけで、まるで久しぶりにその声を聞いたような気分になった。
「やはり、気を引くのは中々難しいようです」
 そしてキャンディをまたこちらに差し出してくるので、手のひらを上に向けて受け取る。
 堀の白い手のひらに収まった、赤と青のキャンディ。それにぽつぽつと雫が落ちていく。

 雨が止みませんねという声につられて顔を上げると、滲んだ視界の中で苦笑を浮かべている江戸川の顔が見えた。